2007年07月03日
向いている仕事、向いてない仕事とか
「この仕事向いてないかも・・・」という人がいて、向いてるか?向いてないかは、自分が決めるか?他者が決めるか?どちらかだろうと思う。が、現実には 「お前はこの仕事には向いていない」と言われ続けてやめていない人がごまんといる一方、自分で決める人もごまんといる。
自分自身、どうなのかというと、ぜんぜんわからん。いまだ・・・。
これはきっと何十年同じ会社に勤務してもわかんない話だろうと思う。すごく楽しいか?というとそうでもないし、環境はある程度作れる環境にいる。だから幸福か?というとそうでもない。サラリーに満足していないが、サラリーを増やす方法はある。
なんというか、そうでなかった別の環境を一回異次元でやってみて、それから、「やっぱこっちがよかったわ」といって(元にも戻ってくる)できるといいと思うが、人生は二度ない。まして(時間的な)瞬間は一度だけだ。「あのすばらしい愛をもう一度」と唄ってみても同じ人に同じ感覚を持つのは一度きりであるように、仕事を転職しても転職しなくってもその瞬間はどうせ一度だけだ。あたり前だけど。
でっ「向いてないっ」と自分で言う人の大半が自分で決定している。まあ、病気(になってしまった人)、大きなきっかけがあった人は別として、その(向いてないという)(逆説的であるが)確信が得られる部分において、結構自信家だなと思う。
もう一つ気がかりは「自分に向いている仕事があるはずだ」という「ある種の確信」である。あるんだろうか?ないんだろうか?ないんじゃないの? 向いている仕事なんて。
独立した人たちとか見ると、あ〜、その後(利害を抜いた)信頼関係の積み上げって結構むずかしいだろうな・・・単年度勝負になるな・・・とか。同僚とか、上司とか、異動になれば、フラットになる関係からクライアントとコンサルタントというフィックスした関係以上になるのは結構難しいというか。
知らない間にすすっと去られてしまうのだろうとか・・・。
向いているか、向いていないかは他者の評価では会社内にいる人間しかわからないし、会社内の人間は「やめてほしいか、ほしくないか」が判断基準となる。
やめていいやつは「向いてないんならやめれば?」
職業を選択した時点にさかのぼってそれがどうであったか振り返るのは、向いてる向いてないを考える必要がないか、あきらめの境地になるまでムリ、
まあ、広い見識がなかった・・・と思うだけで、まあ同じ見識なら同じ選択をしたんじゃないの?と(自分で)思ったりする。
向いている仕事、向いてない仕事はあるかもしれないが、少なくとも その仕事に向いていると思わせる人間になりたいものだ。
「向いている人」と思われれば、
仕事を「向いている方向にできる」のではないか・・・と一会社員としては思ったり。
似たような職種なら、向いていないのは「仕事」ではなく、間違いなく「人」。
オレはこの仕事に向いている・・・という確信を持つ方・・・コメント欄に。なぜ「向いていると判断した」のか?向いていないという客観的きっかけや踏ん切りの境地、それが知りたい。
そしてそういう確信がもてないまま、時はすぎゆくのだろうとか。