aamall

2007年08月19日

時間に対する素朴な疑問

新装版 相対論のABC (ブル-バックス)を読みながら時間についてうすぼんやり考える。時間について「おおっこれは!」とわかりやすい説明はないし、苦痛な時間は長く、楽しい時間は短い。遡行することはできないが懐かしく思い起こされる。同じ1時間は寝ているのと、苦痛ではまったく異なる。「時間って何?」


玩具修理者の中の短編だったか?時間の観念は脳がささえているとの前提のもとに・・・過去へ戻りたい主人公は脳の時間を支えている部分を壊す・・・起きている間は時間の流れを過去→未来へと支えているが・・・寝て起きると過去へも未来へも 観念がいけてしまう。しかし、時間の観念を壊しただけなので時間を自由に行き来することはできない。ゆえに起きた瞬間が昨日なのか?明日なのか?わからない。たまたま昨日にいけたときは今日と明日に備える。そんな話だった。

間違いないのは 時間を長く感じたり、短く感じたりするのは 脳であり誰でも感じているということ。おいら自身の考えでは脳だけでなく体全体で時間を感じているのではないかということ。

夢においてはその時間の観念を支えることができずいきなり過去に戻る。それは違和感などない。そしてちゃんと体も過去どおり、または今どおりとなっている。

記憶は脳の蔵に納められているというが、体全体に記憶は宿ると思う。快感も感動もそして苦痛も。

でっ時間が短いときは(例え苦痛を伴っても)それは楽しい。時間を長く感じるときは苦痛だと個人的感覚を持っている。

    時間は伸び縮みする。

つまり今苦痛で長い時間を過ごしている人も必ず・・・時間(の観念)が短くなる瞬間がくる・・・ということを信じている。

 たまたま昨日にいけたときは今日と明日に備える

残念ながら遡行することはできないけれど、今日と明日に備えることができる。それは健康になるためかも知れないし、不安を打ち消すものであるかもしれない。また楽しい未来のためかもしれない。

でっ遡行してもよくなかった原因を探しても詮無きことだと気づく。

時間だけは万人に平等である。。。と同時に感じ方は千差万別であろう。千差万別であるからこそなんかこうやっとこうかなとか。

物理学なんてまったく縁のないものが言うのはなんであるが、物理学が明らかにする時間論はどうしようもない感を覚える。

と同時にどうしようもないか?というとそうではない。生きている限り明日は来る。時間はたつ。もし今日より明日よかったらそれはよかったね 時間が遡行できなくてだ。(物理学では遡行することも可能的な世界感だ)

もし明日の苦痛が楽になっていれば、あるいは時間を少しでも短くなっていれば、それは喜ぶべきことだろう。

ついてない今日はついている明日の布石かも知れない。ついてないときはついぞ過去へ(意識が)遡行をする。それを後ろ向きという。前を向いていないと人間は転ぶ。

ゆえに前向きでいたいと思う。そうすれば時間は味方をしてくれるような気がする。年をとることは一面失うものもあるのだろうけれど、健全に年を取れるということはきっと前向きで幸福なことだろうとか・・まあ知らないけど。

と素朴な疑問を積み残したまままた機会があれば・・・。

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blog49 at 00:01│Comments(0)TrackBack(1)clip!オピニオン 

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1. 時間はどこで生まれるのか(書評)  [ blog50-1 ]   2007年08月20日 09:31
時間はどこで生まれるのか (集英社新書)を読む。ダル○ッシュにやられていないあなたもすでに宿しているかも。真夏にサイコーのミステリ。

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