2007年08月22日
だれにでも「いい顔」をしてしまう人(書評・感想)
だれにでもいい顔をしてしまうかどうかはさておき、「嫌われたくない」という気持ちは少なからず誰しもある。このへんは「裏切り者の名を受けて すべてを捨てて戦う男」はデビルマン (3) (講談社漫画文庫)くらいしか覚えがない。
そこいらへん「カンケーねえぜっ」と嫌われてもかまやしねえ、いやむしろ嫌われてたい・・・と思う人がいたらそれは集団の中でやっていけない。そういう人は滅多。テレビでみたのは本物の悪は→※くらいか。
問題は だれでも という部分。そこを言いたいことも言わず嫌なことも「喜んでっ」とか言っていると猛烈にストレスがたまる。それが無意識にタマって ぼかんといくぞ的ホラー。
嫌われないために行動することで好かれないという現象が起こる。ここいらあたりはアグリーだ。ノーをイエスと言ってしまえばあとで必ず不都合が出る。逆もしかり。
他人に嫌われるのは恐い。そこでものわかりのよい人を演じる。エーリヒ・フロムの言う神経症的非利己主義である。P25
まあここいらあたり、それを人にせまりすぎるがゆえイジメも。他人に嫌われないため(同調行為として)にそのイジメが加速する。まあ集団心理っつか。嫌われたくない症候群も加害者の中にあるいはあるかもしれない。だから同情とかでなく。
まあ自分の意見を押し殺して、迎合するのも結構疲れる。迎合しなくても「いい人」を演じるのは疲れる。期待にこたえなければならないっという圧迫感とかもあるし。
一方で生来いい人が「ワル」を演じるのも結構疲れる。いい人だった人が悪くなったときの周りの反動も大きくなる。その軋轢にどう耐えるかまでは・・・。
その結果 ちょいワルという言葉が生まれる。あれはきっとワルに見えても実はいい人。ワルはかっこだけ・・・との結果生まれたものではないか。
今日はちょっといい人しすぎたかしら?な人は・・・この本はまさにホラー、読まない方が懸命かも。知り合いの中にきっとあてはまる人がいる。というかある種の分類なので自分もこの端っこの方にいるかもって占いみたいなものだけど。
「ワシのこと殺したいやつは会社で何人もいたはずだ」なんての悪ぶって言いやがって。ちみを殺したいほど憎んでいるやつもいないよ。それはそれでものすごいエネルギーだから。
筆者に言わせば、反論するエネルギー不足でいい人をするそうですわ。ストレスと引き換えに。まあそういう側面がないではないわけでもない→※ メンドクサイので「ホントは楽しみなんじゃん」とか言わない。
まあそうやって現代人はストレスをためていくんだとか。いい人しすぎると腹を割って話す(ときにはケンカする)友人はいなくなるんだとか。便利に使われたりね。
まあミクあたりはそういうことがアルカポネ。ミク上ではいい人を演じるために文句も書けず屁もこかず。日記は次第に書かなくなる。マイミクは不愉快にならないかしら?そこいらあたりでなまじ知ってるだけにうす〜い人間関係と空虚感が残るというか。離れて疎遠みたいな友達関係ってか。いい顔の人はなりがちらしい。
まあたまには放言もいいかもね。「バーカ、バーカ。ケッケッケ。カーッ ッペッ」
誰にでもいい顔してはいけま10が筆者の主張。まあ少しくらいで関係が修復しないならそれまでですわって。友達100人いてもね、ピンチをいえないんじゃさっ。まあ折り合いってのもあるわだが。
あまりまわりにビクビクしないでおきましょう。そしてあなたはビクビクしましょう。場を凍らせる失言をしないように灸魔さん。
言いたいことはほどほどに、言えないこともほどほど。 まあ「ショーがない」とか「産むマッシーン」とかではなく 意思 をきちんと。
→空気読めとの兼ね合いもあるし、まあ難しいけどね。。。空気読んでかつ言いたいことを言って傍若無人に振舞ってそれで嫌われずって 至難の業。でも社会人ならやんわりそれでいてはっきりと・・・では伝わらなかったり→※
あっ→※の件は今日ほど 「ご〜ん゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン」とありました詳細は避ける。
自分の好きなように・・・は難しいもの。好きなようにやって嫌われないならたいしたもの。お糧っつか。
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この記事へのコメント
そうな気がします。だって私がそうだからw八方美人
まではいかなくても、誰にでもやんわり接しちゃいま
すね。あたりさわりなく。でもその人が読めてきたら
容赦ありませんがw
「自分に自信のない人ほど
そうな気がします。」→これは書いてあった。劣等感と優越感と相反な感情みたいなね。認めてみたいなところ。