2007年08月27日
トランスフォ−マー(映画評・感想)
日本で「トランスフォーマー」がアニメで放送されていた頃はなんだかなと思っていたら輸入物だったから。宇宙生命体が地球でどたばた。片方が人間を守り、片方が人類滅亡を狙う。
そのへんの背景はたいした説明されず、正義側はデコトラとかマスタングからロボットへ、悪側は飛行機とか戦車とかヘリからロボットへ。そのへんはホントはどの機会にも乗り換えられる(乗り移れるはずなのに)・・・デコトラって遅いじゃん・・・。
で「バキューン、ドカーン」と機械同士の戦い。正義側は赤とか青とか色がついているので辛うじて見分けられるが・・・途中から入り乱れるとどっちが味方か敵か・・・まったくわからず。
それでも米軍との共同作戦で米軍は見事に敵を識別する。普通わかんないよ。同じロボットだもの。
途中からなんのために戦っているのだっけ?とかいいかげんもう戦わず話し合ったら?とか突っ込みどころ満載。
マスタングの所有者となった青年とヤンキー娘のラブストーリーを伏線に。ってそんな話を入れねばならなかったのか?
フーバー大統領のときにロボット(宇宙人)を氷結させてじつは保管していた。。。ってどっかで、国防長官も知らない秘密機関があって・・・ってどっかで聞いたことがある。
でっなにゆえお金をかけてまてこのような作品ができてしまったか。日本でいわばちびっ子の常識となっている「変身」もアメリカでは・・・
それほどメジャーではない。バットマンもスーパーマンもファンタスティックフォーもさらにスパイダーマンも・・・みな変身はせずせいぜい変装。ゴレンジャーもキカイダーもガオレンジャーもデビルマンもキャラとしてアメリカには少ないし、メジャーではない。
そこいらへんできっとトランスフォーマーの変身がインパクトを監督に与え、お粗末でも「変身ってかっこいいじゃん。大作作っちゃえ」となったのではないか?アメコミヒーローには実に実写変身が少なく、そうなったのも必然。今後は増えるかも。
日本ではすでに変身は幼稚なものとなっている。「へ〜んっしんっ」は子供の合言葉。子供ゆえ、一々変身せずに「最初から変身しとけっ」とは言わない。ロボットもしめ際に合体してもそれはお約束。黄門様の印籠みたいなもんだ。最初からではみも蓋もない。
日本のサブカル的には変身が少なくなってきているが、それでもコスプレで自分が変身したり。まわりも 萌えとか。自分の子供ごころをくすぐる。外国人にもメイドカフェは観光スポット。いったことはないけど、その道の人には萌えだろう。
子供の頃あれだけ変身を刷り込まれればまあそれなりに変身もしたいものだ。
まあ最後にそれなりに次へ続く前フリもあったし、今回の初めての変身ものとしてはこんなものか。まあそこも突っ込みたかったがやめて。
明日からキャラチェンジでもしようかな。自分の中で自分は連続性を帯びているけれども一日として同じ自分はないものだ。そういう変身を常にしているけれども気がつかず。変身もバージョン・アップしていくなら変身もそれはそれで。
「トランス フォーマー」なんて音声多重の音(わからないかも)が記憶のかなたから耳に響く。
トラックバックURL
この記事へのトラックバック
この記事へのコメント
もりもり食べて、トランスフォームして
くれ給へ。