aamall

2007年08月27日

セケン噺の補足

セケン」というのはきわめて狭い概念で「社会」というのはものすごく広い概念だ。でっ学校へ行っても先生は「セケン」というものを教えてはくれず、社会との折り合いのつけ方の授業はない。あえて言えば通知表の三行ほどでセケンとの接し方を断ずる。

   「協調性にかける」 



まあ、小学生くらいだと運動や勉強がその子の尺度。大きくなるにつれて運動から勉強優位となるが。一方で尺度に関わらず、ヒエラルキーのどのへんでどのような動きをするかが「セケン」に対する重要。尺度とセケンの不一致。

子供にとってセケンは狭い。親と学校オンリーだ。以前はこの中に近所という項目もあったが、今はごくごく仲のいい友達のみで近所のおっさんは「ついて行っちゃだめよ」的に子供のセケンからはずされている。声でもかけようものなら「きゃ〜誘拐〜」

親と学校の中で関係性をいかに維持するかが問題となるけれど、もしそれが壊滅的状況であれば、セケンから社会に対して絶望する気持ちになるのもしばしば。だって子供にとってその「セケン」=「社会」。

でっ「セケン」との折り合いをつけなくなった親すら多い。「給食費未納」とか。あれは本来世間体を気にするなら絶対しないはずなのに・・・今日の親はそこに折り合いを見出さず、税金払っているからいいじゃん。近所の草むしり参加しなくてもいいじゃん。とってもいいじゃん切捨て孫ギャル。

かくしてセケンとの折り合いをつけない親を見た子はセケンとの折り合いのズレは大きくなる。勉強できれば、運動できればオールオッケー。

っでそういうもんかなっ とうまく会社に入ったりするといきなり「セケン」が増える。まあステークホルダーが多くなるというべきか。学歴もそれなりにものを言うがそれは入るときともっと後の話。もっとも重要なのは社会の中の「セケン」との折り合い。今まで計られてきた尺度とはあからさまに違う尺度で面食らう。

で「人が好きなのでこの職業を選びました」とかオタンコな表現をし、オタンコな大人が「そうかっ!人が好きですか?」とこれまたオッケー。文句を言ってくる客、厄介な患者、言うことを聞かない部下、バカな上司、けつを触る管理職。すべてを想定せぬまま、人が好き と猫好きののり。

っでいい温度の社会を探してセケンを渡りあるく。「そこに行けばどんな夢も叶うと言うよ」と愛の国「ガンダーラ探し」の旅。これを自分探しの旅という。

かくしてニートという桃源郷に辿りつく。やはり我が家が一番だ。一番狭いセケンに舞い戻る。

土台、学校で 社会との接点となる「セケン」を教えるのは難しい。それは教師はごくごく狭いセケンとの接点しか持たないから。新たなセケンとの接点を持つことはまれ。教育実習は学校などいかず、本当は企業に行った方がいいと思っている。純粋培養では耐性がなくなるのは必然。社会科は教えることができても大きなくくりでの(ステークホルダーのたくさんいる)セケンを教えることができる教師は少数。親だけがガバナンス的な。

教えることができるのは学校というセケン。

決して社会というセケンは教えない。だって知らないもの。

で「社会は厳しいか?」と言うと感触的にむちゃくちゃ厳しいとは思わないけれど、学校の延長線上にセケンはない。テストというわかりやすい尺度、運動会の順位はない。「うへえ」

社会科は社会というネーミングがついているけれども「社会」についてなんの教示もない。歴史と地理とあとちょっと。現代社会はちょっと前の現代しか教えてくれない。それでも過去だ。ネットとの付き合い方とか。ケータイマナーとかあってもいいのに。

道徳が復活しそうだが・・・道徳ってまあ時代とか背景で異なるし、うまく捕まえられるか否か。たぶんずれた道徳を教えてくれるこったろう。昔の道徳。不変ではないよっと。

かくして狭い「セケン」しか知らない大人がさらに狭い「セケン」を教える。近所づきあいもない、上下関係もない。せまいせまい甘ったるい世間・・・を社会として教える。

自分を取り囲む世間の延長上に社会はあるが、SCで一台くらいはみだして車をとめてもいいだろ! 近いから・・・の親を見た子供は将来、世間的には社会でそれが許されるのだと思う。そういうものだ。学校と家の二つしかセケンがないから。それが子供にとっての社会の形成のされ方。

ただそうやって何年も習ってきたセケンを覆すようなことを(大人になってから)教えることは難しいなとか思う。それでも地球は回るし会社をクビになることはない。そういうものだ。

狭い世間をちょっと広げる、まあそれが大人になっていくというか、折り合いをつける能力をどのようにして身につけさせるべきかとか。

まあ学校に過度な期待はせぬこと。ちょっと社会を教えれば世間体を気にしない親が飛んでくる。そういう時代。教師はますます背を丸めてセケンを狭くするに違いない。

まあ不道徳な私が言うのもなんだが。



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この記事へのコメント

1. Posted by 丁稚   2007年08月28日 08:48
ホ〜リ〜ホリマキオ♪

…元気だろうか。ゴダイゴを聞くと思ひだす…
2. Posted by 丁稚   2007年08月28日 08:50
なるほど!ニートは現代版チルチル・ミチルなのか!「幸せの青い鳥はあなたのすぐそばにいるのよ!」
3. Posted by 丁稚   2007年08月28日 08:56
一度「人が嫌いなんですけど、どんな職業につけばいいですか?」って質問をされたいものだ。「人が好き」なんてのは「私はご飯を食べるのが好き」と同じような事だ。好きだからといって他人には何の意味もない。ただ、「人が好き」な事を当たり前だとは思わないけどね。わしは人間「大嫌い」。…生まれ変わったら…私は…貝になりたい…
4. Posted by 丁稚   2007年08月28日 09:08
よく「戦後失われたもの」なんてのに「近所付き合い」を挙げる輩が多い。こんな奴に限って、近所で誰彼なしに話しかけるジジイ、ババアには眉をひそめる。で、ネットに書き込みをするのだ。もちろん、ジジイ、ババアはそんな事知らない。また、自分の親がそんな事しようもんなら「ちょっとやめてよ!みっともない!」と叱り飛ばすのだ。

大体、核家族化、過疎過密化が進んだ我が国でこんな事をいうのは無い物ねだりだ。そんな事を言う奴で老親と同居してる奴がどれだけいる!?年寄りがいない都会のニュータウンの昼は子供しかいないのだ。そんな住環境を作ったのは誰でもなく自分達だ、という自覚が足りないんじゃないのか?
5. Posted by 丁稚   2007年08月28日 09:08
そもそも戦後失ったものなんてない。獲たものばかりだ。現況を鑑みてなお、失ったものがあるとすれば「失ったもの探し」まで始めてしまう現代人の無いものねだり、と言えよう。これだけ豊かな生活を享受しておいて「失ったもの」だと!?戦前の人が怒るぞ!
6. Posted by blog49   2007年08月29日 17:01
さすが・・・戦前、戦後を知る男。

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