aamall

2007年09月10日

他人を類型化すること

→切込隊長BLOG(ブログ) 他人を類型化して悦に浸るのはやめて欲しい 久しぶりに大笑いしたエントリ↓


六人でテーブル囲んで中華料理を喰ってるとき、真ん中の回る台を回して左手でサーブしてたら向かいに座っていた女性(既婚)が「山本さん、左利きなのね」と見たまんまのことを言い、そして「血液型はB型でしょ」と言う。

私はA型である。

別にB型を馬鹿にするわけではないが、左利きであるのを見咎めてB型と軽く決め付ける行為を容認することなどできない。何を持って私をB型と推測するに至ったのか理解に苦しむ。そもそも血液型で他人の行動や特徴を類型化することなどできるものか。せいぜいA型は几帳面、B型はマイペースというような一定の常識の範疇で自己暗示をかけてそのように自己認識している可能性があるかどうかというぐらいに過ぎない。


と基本的にアグリしつつも自分自身でどうしても気になっていることがある。



血液型についてはおおよその合意ができあがっている。

  • A型  几帳面   神経質     40%
  • O型  大雑把   親分肌     30%
  • B型  マイペース 気分屋 明るい 20%
  • AB型 二重人格          10%

っでとあるテレビ番組で、その血液型のガキンチョを集めた結果、おおよそそういう気質が現れていた。それが仕込みがどうかはちょっとわからないが、同じ血液型を集めるととにかく同じような行動様式出た。

でっ上の比率は日本人の血液型の割合であって、世界共通の割合ではないらしい→血液型性格分類

っで一時血液型の本を10冊くらい乱読してまあ上のざっくり分類が必ずしもあたっていないなとも思う。

第一おいら自身が初対面で血液型を語られるとき必ず間違えられる。80%はA型と言われ、10%はAB型と言われる。しまいには血液型を話したにも関わらず間違えられる始末である。

おいらはO型だ。間違えておいて「あ〜やっぱりっ」とか言われる。まあ初対面の男女の場合この手の話題は欠かせないし、切込隊長には悪いが、他人を類型化する手段としてはもっとも手っ取りはやい。なにせ四種類しかないのでなんとか覚えておける。

これが細木数子の分類で土星人とか言われても多すぎて覚えきれない。誕生日なら覚えられるが「何座?」とか言われると自分のことしかわからない。類型化する上で血液型ほど便利なものはない。

例えばヲタクであるとか、頭がいい→※とか、スポーツマンであるとか、バカとか、変人とかとにかく類型化してそこにその人を置くことで安心するのである。

んで、女性についてはおいらはあんまり気にならない。そういわれればそうだなとか思うだけである。もしそれらしい気質が見えたときにはよりその人の血液型を意識するし、それらしい気質が見えないときは忘れてしまう。

がだ・・・おいらにとってどうしてもしっくりこない男性の血液型というのがある。意識してしまうので端折る。

さて、血液型が語られるときにどうしてもB型とAB型はフリである。なぜなら少数派であるから。10人いたら3人しかいないわけだから当然多数決をとれば少数派になる。A型やO型は日本では大きなツラをする。

ブーデー君は「血液型入れ変えたら付き合うことも考える」とそれとなく・・・それでいてしっかりとふられていた。まあ志ねといわれているに近いきつい表現。もちろん告白したわけでもないのに。

もっとも人間の行動様式や気質を4種類に類型化すること自体にムリはある。これは生年月日、姓名判断も同じである。すべてを同じ型にはめるのはなかなかムリ。


それだって私の名前は「山本一郎」だ。そんなの世の中に大量に存在している。ならば日本中の山本一郎さんは皆似たような人生を歩んでいるとでもお前らは言いたいのか。

人間は複雑な環境要素をなくすことができない。実験室で栽培することはできないのだから。ゆえに同じ気質を持っていたとしてもズレがおこってしまう。あるいはいまだに血液型を勘違いしている人や知らない人もいるくらいだ。

しかし、なぜ占いとか血液型とかこだわるか?細木数子は視聴率を稼ぐのか?

これにはおおよそ宗教心の薄さが要因のように思う。宗教心の強い地域や民族は見えないものはほとんどが神の仕業に凝縮される。そこいらを持たない日本ではその代替として血液型や占いがよりどころとなるのではないか?

しかし疑問はつきない。占いカウントダウンと同ハイパーの結果が違うこと。「同一局でどういうわけだ?」とか文句をいいつつ、後の順位がいいとにんまりしたりする。

そういうわけで信じているわけでもないが、都合のいいことは採用する。よりどころというのは時に役立つものだ。

血液型の類型の話に戻せばあるかも知れないし、ないかも知れない。これは先天的要素と後天的環境の問題なのできっと証明することはできない。だから当面、酒の肴くらいにしかならないだろう。

占いも今のところ科学的証明は難しいだろうと思う。そもそも科学的証明とかができたら存在価値をなくすという特質を持っている。わけのわからないものの拠り所であるためには 

          証明されてはいけないのだ。

それでも個人的には信じるに足るものがあるとすればそれは宗教と同じ。それでいいのだ。そこを否定してはいかん。切込隊長・・・信じる神を否定してもケンカになるだけなのです。

と一つ暗示をかけておくと・・・このエントリを読んだ人は今日の夜いい夢を見ます。信じるかどうかは自由。ただし・・・いい予感というのはそうして訪れたりもするものです。

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1. 他人を類型化するということ シーズン2  [ blog50-1 ]   2007年09月13日 10:26
blog50-1:他人を類型化すること - livedoor Blog(ブログ)の続き。 類型化してそこにその人を置くことで安心する よくも悪くもよく言われること     「まわりにはあまりいないタイプだ」

この記事へのコメント

1. Posted by Sophie   2007年09月11日 09:38
>占いカウントダウン
関係ないけど、カウントダウンなのに、何故1位からやるのだろうか?

まぁ、僕も昔は「A?」なんて言われてたけど、最近じゃ「典型Bだよね」なんて言われてる。
2. Posted by きみ   2007年09月12日 12:31
同じ本持ってる…

3月に買った時には、すでに52万部突破

日本人は占い好きなんだろうね
3. Posted by マリンゾウ   2007年09月12日 14:56
この本はそれなりに「ん〜」とか思ったし、まあ全部がそうだとは言い切れないとかまあそんなもんかな。
でもその血液型の代表格みたいな人を捕まえてくれば納得のいく説明も多かった。
4. Posted by ひろちゃん   2007年09月12日 22:09
私はO型
いつも横にO型かB型がいると安心するのは、たんなる思い込みでしょうか・・・(-"-)
5. Posted by マリンゾウ   2007年09月12日 23:34
思い込みでもないとは思う。しかし、本人も血液型を誤解している場合などはどうなのか?という言うと疑問は残るかな。
ただ、分けることができるという部分でいうと当てはまる人もいるし、当てはまらない人もいるという適当な結論で悪いけど。
血液型の方が親から遺伝的要素をたぶんに(そして育てられているという部分でも
)脈脈と生きていると思う。

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