2007年09月20日
夢判断とか夢占いとか 真夜中
blog50-1:夢判断とか夢占いとか 夜明け - livedoor Blog(ブログ)の続き。
そういう落ちた情報というのが寝た後に・・・強く意識したことと同時に再生される。これをきちんとわけることができれば・・・意味を見出せるかどうか。
だから「夢」で判断や占いができる は早計だろうと思うので。
でっ意識・無意識に流れ込んでくる情報を整理する過程で
発生する映像・音声情報を「夢」と定義する。
それが潜在的願望のあらわれであるとか形を変えて云々という話もあるがどうもすっきりしない。まあそういう場合もあるってな考え方だろう。
つまり「夢」が無意識の範疇であれば・・・
「願望かどうかわからない」が一番正しい表現であろうと思われる。
例えば 自分が大嫌いな人にやられちゃう夢を見た。
すると
潜在意識の中であなたはその人に抱かれたいと思っています。
という一元的な解釈は・・・。無意識が意識に勝っているという形であるが・・・。まあ無意識が意識的なものに勝つパターン(認識できない類のストレスとか)がないではないが、おいらの解釈はこれ
大嫌いな人の印象はあなたの記憶に大きく残っています。かつ誰かに抱かれたいと思っています。またはその人に襲われるという危惧を持っています。
相当ランダムに記憶が再生される。
との仮説が正しいならばいえることはこれくらいであろう。判断とか占いとか「そんなのちげ〜よ」と言われてしまえばそれだけだ。しかもその人を大嫌いとかそういう一定の背景を理解して若干コメントを加えられるだけ。まあ嫌いな人にやられたい願望がないわけでもないがやはり稀だ。
「夢に大蛇が出たのですが・・・何かの暗示でしょうか?」
「それはなんとかの象徴であって・・・・」と言われても大蛇は大蛇であり 決して男根の象徴ではないと思う。見たことない人なら別だが・・・・そんなに口は開かない。
ただ、嫌悪感であるとか、願望というのは比較的単純な感情であるため、夢に出てきた場合に印象に残りやすいし、意識を働かせなくてもよいゆえに頻繁に出てくるような気がする。
犬が尻尾を振ったり、食事を嫌がったりするように、寝ている間は(人間も)感情が比較的単純化されるのではないか?
「うれしいような 悲しいような 」というのは少なくて基本的には喜怒哀楽あたりに収束しているような気がする。
実際の生活している意識で考えると単純な喜怒哀楽の感情丸出しではないわけで。。。まあ寝ている間に夢で調整もとっているように思われる。丸出しの人の方が「夢」をあまり見ないのではないか?仮説オン仮説
こういうことずっと個人情報の蓄積とすれば案外分析は可能かも知れない。
がっ これを一般化するのには結局内的要因と外部環境みたいなものを一定にしなければいけないというまあ無理な話になったり。
ともあれ、自分自身を分析する上では多少の羅針盤になるのは間違いない。ただ羅針盤があっても北も東もない・・・という矛盾はある。
何度か「落ちていく夢」を見た。一つの原因は組んでいた足がずり落ちたのが原因であり、あるときは血圧が急速に下がるのが原因だった。
ということは閉じている目以外の器官はほとんど稼働中である証拠であって、生理現象と如実に関連があることが予想される。
夢の方が 理性とかが少ない分 感情には正直であるように思う。
しかし、夢の中でさえ、気をつかっちゃったり、かっこつけたり。
・・・全裸でなくては眠れない・・・こんな人ほど普段は感情を隠しているかもね。