2007年11月29日
新・福音書−禁断の自己改造プログラム(書評・感想)
いつまで他人の脳の中で生きる奴隷なの?
自分が見ていると思っている夢も、正しいと思い込んでいる生き方も、すべて他人によってあなたの内部に書き込まれたニセモノだ。一瞬で自分を変える実践法!
読み出しは「げっ」。「他人の奴隷、脳内の奴隷」という言葉のインパクト。
しかし実際はそうでもない。自我について触れられているがそれがあくまで相対的なものであり、他人から見た自分を想像した自分という感じだと。この感じはなんとなく理解できる。
十牛図(じゅうぎゅうず)は、禅の悟りにいたる道筋を牛を主題とした十枚の絵で表したもの。
的世界観で「自分探し」に外国へ出かける人が陥りがちな「自分探し」というか・・・自我なんてそんなのねえよというか。まあ細かいことは文庫版 鉄鼠の檻 (講談社文庫)あたりをどうぞ。十牛図がわかりやすく整理されている。
そんなはじめであったが逆複式呼吸によるセルフイメージの変更がよかった。ゆっくり吐いておなかをふくらます。
単純に「考え方を変えてみよう!」「明るい発想をしよう!」本ははっきりいって戸惑う。完全なオプティミストは梅田氏にまかせておけばいいのであって、そのオプティミズムを得る方法を私たちは知りたい。
ついでに
→wiki 福音書
福音とは本来、「良い知らせ」という意味である。イエスの言行録という意味でなく、「良い知らせ」という意味での福音という言葉の用例はパウロの『コリントの信徒への手紙一』15:1にみられる。そこでパウロはイエスの死と復活こそが福音であるといっている。このことからもわかるように福音書は単にイエスという人物の伝記や言行録ではなく、その死と復活を語ることが最大の目的となっている。
っでまあこのブログ自体わかったようなわからんような話になるかというとドクター苫米地氏の言う自己改造法というのが、ものごとの抽象化することに注力せよだからだ。
低い抽象度ランダムに見えることも、高い抽象度では整合的なパターンとして見えている。
すごく近くの他人から見たら?と想定した自分を感じる時(=自我)、それは相対的に不幸だったり幸福だったりするわけだが、そういうところをすっとばしてもっと高いところから見れば・・・ってな一種の自己暗示を提案する。
キーワード「催眠」でアマゾンを検索して上から順に読んでいった感じだが、それはほとんどが心理テクニックを利用するのに対し、ドクター苫米地はもっとダイナミックだ。
「自分探し」をするくらいならこれを読んでみろってな感じだ。この抽象化概念はセルフイメージのコントロールに役立つかはわからないが、少なくとも、文章を書くとか発想力を鍛えるのにきっと役立つ。いろんな意味で含蓄あるようなないような。
深い部分で悩みがちな方に最適な一冊。
あなたにとってこの福音書が「よい知らせ」となりますように。
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