aamall

2008年01月10日

成果を問われるのは本当は誰か?

最近なりをひそめている成果主義についてちょっと考えてみた。

→ほこり集めしながら成果主義について考えました−ノッフ!

仕事の価値というのはとても難しいし、ましては品質とかクオリティーというのはちょうムズい。

→あなたの給料が努力や成果とあまり関係なく決まる構造を図解-分裂勘違い君劇場

たくさんお金をもらったから、たくさん成果を出すとは限らないし、たくさんお金をもらうためにたくさん成果を出すとも限らないのです。



正社員のみのコンビニA社を開業するとする。

社員AさんとBさんとCさんを集めて社長が「明日から成果主義とします!」と宣言。「売上だけに連動する歩合給ではなく、あくまで(お客様からの評判とか売上・利益を含めた)成果であなたたちの給料を決定します!」

Aさんは月・火、Bさんは水・木、社長はCは金・Cさんは土、日のシフトではじめる。

Aさんはときどき商品にも手をつけているように感じるけれども「からあげ」など在庫管理してないのでその証拠はなし。勤務態度もあまり良くない。

Bさんは可も不可もなし。

Cさんはお釣りを渡すときも丁寧で、接客は見事なもの。こんなところにおいておくのがもったいないくらい。

しかし、オフィス街ということもあり、売上がどうしても平日に偏りがち。

売上/月

A 600万円、B 600万円、C 450万円。

粗利は同じで、売上だけで給与を決定すると歩合給になってしまう。同時に売上目標に対する達成度、接客の様子なども考慮に入れて成果を社長は考えた。Cさんがかいがいしく掃除したり、商品の入れ忘れなどなく完璧な状態を保ったりしていることに感心しきりの社長。

「Cさんにより多くの給料をあげたい」

とはいえ、成果主義を掲げた以上売上を無視することはできず、結局、売上などの数値面と微妙な定性面を評価し、3人横並びになってしまう。

翌年、アンケート調査を実施し、接客の良い店員の名前を記入し、これを大きな指標の一つに決めた。当然Cさんと書く人が多いと思ったけれども、週末は来店客数が少なく、容姿端麗なBさんが圧倒的に評価された。Aさんとのギャップが効果があったのかも知れないし、平日の客はそもそもCさんのことを知らない。

社長は客観的指標をなんとか作ろうと何度も試みるが、どんな指標を持ってきても(Cさんの給料を上げたいという意図は)うまくいかない。

コンビニの成果=利益である。曜日による売上の変動はあるものの、売れた商品の構成は変わらないので、売上=利益となる。いろんな側面から貢献度は明らかにCさんが高い。曜日による変動を排除したところであまり説得力はない。なにせコンビニである。社員の努力がその成果に大きく貢献するとは限らない。

そこで→コンピテンシーなるものを導入し、行動特性=成果とした。Cさんをやっと評価するにいたり、高い給料を与えた。Cさんは給料が上がった・・・からと言って売上に影響があったかはわからない。ただCさんは生真面目でもくもくと働いている。ただこれが成果主義なのかはわからない。


成果を本当に問われるのは誰か?利益と処遇を連動させるべきは?

それは唯一社長である。社員の評価に成果主義を導入したのが正しかったか?普通に考課をつけCさんの処遇を上げればよかったのではないか?

ドライバーとか(広いエリアの)単独営業とか自営に近い業種ならいざ知らず、業務の仕方も曜日のシフトも社員は選ぶことはできない。

そういう資源の配分とか、業務の方法など変えることができたのは社長のみ。Cさんの曜日のシフトを変えるなどしてもっと売上や利益を上げることができたかも知れない。

つまり、責任と権限がついてこないと成果主義など意味がない。営業するエリアも選べず、する仕事の内容も選べない一兵卒に成果(必ずしも利益とは限らないけれど)を求めても一生懸命やっているとか外的環境を熟慮して出来栄えや質を上司や近くにいるものが評価するしかない。そういう客観性に乏しいものを「はい、これ君の成果」と言われても納得性がない。

仕事の質・・・これは「まわりの人はわかっているけれども数値などに置き換えるのは難しい」・・・下へ行けば行くほど 質 の判断は難しく、量への影響度は低くなる。

つまり、成果を問うなら上からだ。業績の責任は社長から問われるべきである。その業績につなげる質の確保も権限が大きくなるほどできるようになる。

膨大な職務記述書を書けば成果がはっきりするとは思えない。上から問われる文化的な背景があってはじめて下への適用も可能になるように思う。

そういう下地のないまま、下にだけ求めてもそれはたぶんムリだ。

→変革が好きな人たち(内田樹の研究室)

システムのどの箇所が、どの程度の損害を蒙っており、それは今後どのようなかたちで他に波及するおそれがあり、とりあえずどのような補修を必要としているのか。〜中略〜
社会をよくするには「一気」と「ぼちぼち」の二つしか方法がない。
私はあらゆる「一気に社会をよくする」プランの倫理性についても、そのようなプランを軽々に口にする人の知的能力に対しても懐疑的である。


「なんだかよさげ〜」で「成果主義」に飛びついて失敗をした企業も多数。人件費を「変動費にする方法」が当初は魅力的であった。

経営者の方は「それではまず自分から」と自ら熱湯に飛び込む竜ちゃんのようにそのへんの変革を行って欲しいものだと思う。

それでも多くの人がいる企業が変わるのはやはり「ぼちぼち」だと思う。

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