2008年08月14日
サラリーマンの権力について
権力とはすなわち、「逆らうことができない」ということだろう。では実際どのように権力は振るわれるか。
- 人事考課を含む評価
- 職場内の配置
- 職務内容の指示
- ルール設定に関わる権利
- 人事異動
- 昇格昇進の決定
制度面で権力は上記のようなものだ。ゆえに役職が上、例えば平社員と課長が争って「オレを誰だと思ってるんだ!」と叫んだところで、直接の上司でなければ、直接1〜6の被害を被ることはない。悪評をたてられたり、次の上司になったとき目の仇にされたりする程度だ。
何らかの「権力手段」、「基礎価値」をもつことによって、ある者が他者をその意に反してでも行動させうる、特別な「力」を保有している、という理解が生まれた。
ゆえに必ずしも役職が権力を生むわけではない。例えば「茶々(淀君)」のように寵愛を受ければ、すなわち1〜6の権力を持つ役員などに「もの言う」ことができれば、権力が発生する。
実際にモノを言うかは別にして、まわりはそういう扱いをする。「あの女は要注意だ」。また、(ちょっと格上の)扱いを受けているうちに、役職がないのに錯覚して、権力があるがごとき振る舞いをする。話口調は上から目線、丁寧なモノ言いも威圧的ってな感じだ。トラの威を恐れる狐もいる。お局にはただ単に年を重ねるだけではならない。枕を使っているとは限らないが、案外噂話程度の稚拙な(他人の)評価であっても、女性の生の意見として尊重する傾向がある。
一般的に昇進しても、1〜3の権力しか得ることができない場合も多い。ルール設定、人事異動に関しては(本社など)中枢にいないと意見が反映されない。
コッパの出世レースでいちはやく昇進したからといって権力は比例しない。1〜3の権限がちょっとばかり増えるだけ。サラリーマンの場合、権力闘争のスタートはいち早く部長になり、役員になり、代表権を取れるかだ。
ここにいたり漸く4〜5の権限がつき、はじめてそれを権力という。
課長島耕作 (1) 新装版では大泉副社長の愛人を見張るという大役を引き受けたこと(のちのそのママとは懇ろに)、権力闘争の渦中から遠かった中沢が末席の役員から一足飛びに社長になったことが島に幸いし、遠まきではあるが社長への道が開けた。今のところ、権力の魔力に取りつかれてはいないようだが。
最近、ある人材の候補者について意見を求められた。権力者に直接尋ねられたわけではないのだが、その人物は「それが反映されたらおもしろいだろ?」
ある種の魔力に魅入られている。自分なりに意見はあるので「同格からのスライドなら、知識→○○さん、○○さん、人柄→○○さん、○○さん、昇進を伴うなら○○さんと○○さん」とできるだけ私なりに公正さを期し発言したつもりではあるがやはり好き嫌いは反映する。
意見が反映されるかどうかはさておき、少なからず影響を及ぼす。恐いのは権力を使って責任を伴わない場合である。日本では一般に人事部というブラックボックスを通すため、昇進・昇格に関する責任が不明確だ。ゆえに権力者がゴリで昇進させても「ガラガラポンだから」と逃げやすい。
それに対する反対意見も認めない。自分のまわりや重要な役職を気の合う仲間で固めれば仕事はやりやすいが、新たな発見や創造的な業務、シナジーなどは生まれにくくなる。
異質なモノを組み込んでこそ強くなる金属もあるし、プリンに醤油でウニになる。
仲間が強固になるうち、仲間から外れたものは活性化を失う。
1〜6の権限、権力を得たときにプリンに醤油をかけてみる度胸があるか?
権力を振るうようになるとまわりはモノを言わなくなる。権力によって失われるものもあると心にとめておこう。
100人を超える組織であれば、組み合わせはほぼ無限である。無限の組み合わせからもっとも活性化するものを選択したいと思う。
とはいえ、権力なんてないのだが。
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