2008年10月09日
容疑者xの献身(映画評・感想)
容疑者Xの献身 (東野圭吾著)を鑑賞。
水商売から足を洗い、花岡靖子は娘・美里とともに、慎ましやかに弁当屋に勤務しているが、どうしようもない元亭主が家に押しかけたため、勢いで親娘は元亭主を殺してしまう。
隣人の天才数学者:石神が物音を聞き、かけつけ、事情を察し、花岡親娘が殺人に関与していないかのような証拠をいくつも作る。
ミステリが好きな人なら、殺害後に指紋を焼き、顔を潰したにもかかわらず、すぐに身元が判明した時点でだいたいの事件の輪郭が見えてしまう。
花岡親娘はまったく嘘をつかず、石神の言われた通りに動いた事実を言うだけでアリバイは完璧に成立してしまう。
捜査の過程で隣人:石神が、ガリレオこと湯川学と同窓であることからガリレオは興味は持ち始め、テレビシリーズとは違う、個人的動機で動き始める。ゆえに「ガリレオ」ではないらしい。
トリックは優れたものであったが、何かがゴソっと抜けている感じがした。それが何かわからなかったので原作も読むことにした。
完璧な論理、完璧な防御を用意しておかねばならない。しかも今すぐにそれらを構築しなければならない。焦るな、と彼は自分自身に言い聞かせた。焦ったところで問題解決には至らない。この方程式には必ず解がある。P53
この手の心理描写が映画の中では欠落していた。天才数学者としては日の目を見ることはなく、見た目愚鈍で静かな男の心情を音声にすると矛盾が生じる。
ゆえに一貫して石神の動きはたんたんとしたものとなる。石神が花岡親娘に抱いていた深い愛情は時間の制約がある以上、「なんらかのおおきなきっかけ」が必要となるようで、原作とは違うエピソードがはさまれていた。
結局数学や物理とは違う(というか本件に関してはどちらも関係なかった)、ガリレオというノイズによって、事件は石神が予期せぬ方向で収束していくことになる。
この部分も石神の心理描写が映画では乏しく、ガリレオの優しさも十分に伝わらなかった。独り言をブツブツもらすわけにもいかず、映画と小説の埋まらない差の部分であると思う。
配役として石神演じる堤真一はどうにもいい男過ぎた。数学にしか興味を持ってこなかった石神はもっとモテない、それでいて知的さを感じさせる俳優がよかったように思う。それが誰かはちょっと思いつかないが。
ガリレオの知る限り、石神にとって花岡が初恋であり、それを最後まで表現できなかったシャイな男だ。
テレビシリーズが(原作を知らないので)おもしろかっただけに、少し残念な映画となったが、決して時間を長く感じたわけではない。むしろ30分くらいのばして製作してもいいくらいの作品だ。
映画を見た人も原作を読んだ人も双方くらべてみるといいのかなあと思う。
トリックそのものよりも欠落部分が映像にどのように凝縮(小説では表現)されているかがお互いの見所だ。
探偵ガリレオ (文春文庫)
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