2008年10月23日
訪問するというビジネスモデル
訪問するというビジネスモデルはもはや死んでいる。そうおっしゃる御仁がいた。
なるほど、そうかも知れない。ネットでもテレビ通販でたいがいのモノは買うことができる。店頭販売は規模の経済がモノを言わす。
御用聞きビジネスはほぼ壊滅状態。生きているのはサザエさんに出てくる「みかわやさん」的世界くらいのものだ。
生協だって、御用聞きとは違う。ほぼ配送業だ。
訪問するというのは恐ろしく非効率である。郵便はまだしも、宅配をする運送業者は相当な企業努力をして効率を上げ続けなければいけない運命だ。
一方で、一次情報の価値はかつてないほど高まっている(と私は思っている)。
名の売れたジャーナリストの方が
「現地へ飛んで、生の一次情報を得ている私には誰も何もいえないんですよ」
とちょっと痛めの発言をしていた。日曜の朝に、やいのやいのと責め続ける論客の中にあっての裏話。あながち嘘ではないだろう。
本を読んで、ネットを徘徊しまくればおそらく相当量の知識を得ることができる。
しかし、百聞は一見にしかず。
百聞すら信用ならないもの(情報)が溢れている。その場にいた者と、その場にいた者が取った映像を見た者と、その場にいた者が書いたモノを読んだ者では雲泥の差がある。
経験に解釈をはさむ余地はない。もちろん、経験をもとに解釈は発生するけれども、リアルな経験は解釈とは別次元の理解を生む。痛みや喜びは擬似的に得るのと、現実に得るのではまったく違う。
訪問するビジネスモデルは死んだか?
おそらく欲しいものや問題点が判明している「モノを売っている」企業ではこのビジネスモデルは死んだ。訪問して売るだけの利益を乗せることは困難だ。
買う銘柄の決まっている投資家はわざわざ店舗に出向かない。押しつけがましい営業マンはなおのことうっとおしい。
しかし、それがわからない人がいる。投資したいのかさえ、判然としない人。
ジャパネットはたぶんそういうリテラシーみたいな部分で販売を伸ばしている。
出向くことのメリットと言えば、相手の領域で話すことで、雄弁になって語ってもらうこと。
相手を招き入れるという行為は心理的に近い。語ることが、相手が気安くなり、気がついていないリテラシーを啓蒙することができるかも知れない。
おそらくこの部分が重要な(顧客から得られる生の)一次情報だ。この種の情報は統計から導き出せない。
思いとか経験というのは、(頭の中で)繭みたいにこんがらがっている。すぐに綿帽子みたいに離散してしまう。
その糸口をいかに探しほぐすことができるか?相手の領域でこんがらがった思いから糸を紡ぎだせるか?そのへんに訪問する(相手の領域で話す)というビジネスモデルの活路があるに違いない。
そもそも問題がわかれば、知恵袋でも小町でも人力でも答えてもらえばよい。飽和した社会では統計の平均にさして意味はない。
局地戦である。
CMとかネット広告とかバシバシ打つマスの戦略ではおよそ勝てない。規模の経済はそれだけ効率を上げる。
しかし、ジャングルの局地戦で必ずしも機関銃が有効とは限らない。竹林なら弾が跳ね返ってきてしまう。無駄も多くなる。
1対1の戦いと多数対多数の戦いは違う。
局地戦で詳細な状況が把握できれば、勝利も不可能ではない。
詐欺ではなく、リテラシーを向上する。
「なんとかセミナーを開催する」より、局地戦を展開する方が効果が高いかも知れない。セミナーに参加するなんてなすでにリテラシーが高い。(参加するだけで野菜あげますみたいな扇動、洗脳は除く)
個別撃破を狙うなら、(売り手の)個々人の能力が高くなくてはいけない。相手が(形にすらできていない)願望を形にしなくてはいけない。
ゆえに専門性が問われる。だからといって細分化すればするほど効率が下がる。どこまで細分化するかが資源配分の妙で経営のさじ加減。
信頼性の高い情報は信頼できる者からの一次情報である。ニュアンスを汲み取って信頼ある選択肢を提示することができれば生き残る余地はある。
その分野はますます狭まっていく。比較容易で、情報の非対称性のないものを訪問で売るのは難しくなっていく。
しかし残る。「私がこなかったらあなたが知ることがなかったモノ(情報)」、面突合せてはじめてわかること。ニュアンスを感じとり形にしたもの。
御用聞きに用事はない。お安い御用は自分でする。
要はお安くない御用を汲み取って解決してあげることなのである。問題解決型営業というけれど、問題をあらわにできるか?個々人の力にかかっている。
聞いて整理する能力。これがコンサルの基本だったりする。




