2008年11月21日
中の壁
隣のフロアからいつも大きな声が飛び交う。それはもともと私のいた部署で長も変わっていない。私のいたころも長の声は大きかったが、それ以外の人が大きな声を上げることはなかった。
毎日の風景でもう馴染んできたけれども、長に向かって部下が赤い顔をしてまくしたて、その部下は最終的に赤い顔をしたまま小さくしぼんでいる。
ただ、話していて、「あ〜3階の人と5階の人が自分のフロアのことを話しているようだ」とたびたび感じた。
なので、(上司と部下ではないけれど)関わり合いがあったときには、「やっぱり5階だと高いから階段を上るのはたいへんですね」とシンパシーを示すにとどまり、決して3階の話で議論しようなどとは思わなかった。
麻生首相もそういう人だと思う。「5階の見晴らしはいいんだから3階からも見えるだろう?ホテルのバーは銀座に行くより安いのだ」という。「もっと安いところはあるでしょうに?」と言うと「セキュリティはホテルがよい」という。
なんだか上滑りである。
その人も同じ感じ。同じ階の話をしても平行線を辿るのではなくて、錯綜する。
その長は「5階の人」と3階の議論をする。できればその5階から引きずり降ろして、改善させようとする。それはやさしい行為である。
私はある一定の年齢を過ぎた人にそれはムリだと思う。自分の正当化のみに終始する人には、自分がそこから降りるか、上から叩きつけるしか効果がない。
好川先生に「企業を再建するのに一番大切なことは何でしょう?」と聞いたとき、「再建できる企業を探すことだ」と言った。再建できないとすばやく判断することが一番のポイントだと言う。
人はいつか変わるものだという淡い期待がある。しかし、この期待は年齢を経るごとに減っていく。
10代の変化の可能性は高く、50代の変化の可能性はもう致命的低い。
部下を持つとすべからくその部下によい変化を望む。20代〜50代までの部下を持ったけれども、50代の方には変化の兆しを見ることはできなかった。
人の話を聞かないのではない。いつしか私たちは人の話を「聞けなくなる」のである。それは耳に入ってくるのだけれど、カルビがもたれるように消化ができなくなる。
そういう自分の中の壁に苛立ちを覚えるけれども、その壁を乗り越えることはできない。中の壁はそもそも越えるべきものではないからだ。
真正面でぶつかることはやさしい行為であるのだけれど、結局変化をもたらすことができず、(叱られている人の)中の壁をより増大させ、残酷な結果をもたらす。
再建できない企業にファイナンスをつけ、負債を増やすことに似ている。
真正面から受け止めるより、きちっと線引きした方がお互いの幸福につながることも多い。中の壁をその人が越えられないことを認めつつ付き合う方が良い場合がある。
人は必ずよい方向に変化する・・・という信念すらまた「中の壁」と言えるかも知れない。

バカの壁 (新潮新書)

超バカの壁 (新潮新書 (149))
「無知」というのはそのような自分の知力についての過大評価によって構造化されている。その部下の方は私よりも位が上で、1年ばかり関わりがあったのでよく存知上げている。
「人の話を聴かない人間」は他人の話のなかの「自分にわかるところ」だけをつまみ食いし、「自分にわからないところ」は「知る価値のないたわごと」であると切り捨てて、自分の聞き落としを合理化している。
いいまつがい:内田樹の研究室
ただ、話していて、「あ〜3階の人と5階の人が自分のフロアのことを話しているようだ」とたびたび感じた。
なので、(上司と部下ではないけれど)関わり合いがあったときには、「やっぱり5階だと高いから階段を上るのはたいへんですね」とシンパシーを示すにとどまり、決して3階の話で議論しようなどとは思わなかった。
麻生首相もそういう人だと思う。「5階の見晴らしはいいんだから3階からも見えるだろう?ホテルのバーは銀座に行くより安いのだ」という。「もっと安いところはあるでしょうに?」と言うと「セキュリティはホテルがよい」という。
なんだか上滑りである。
その人も同じ感じ。同じ階の話をしても平行線を辿るのではなくて、錯綜する。
その長は「5階の人」と3階の議論をする。できればその5階から引きずり降ろして、改善させようとする。それはやさしい行為である。
私はある一定の年齢を過ぎた人にそれはムリだと思う。自分の正当化のみに終始する人には、自分がそこから降りるか、上から叩きつけるしか効果がない。
好川先生に「企業を再建するのに一番大切なことは何でしょう?」と聞いたとき、「再建できる企業を探すことだ」と言った。再建できないとすばやく判断することが一番のポイントだと言う。
人はいつか変わるものだという淡い期待がある。しかし、この期待は年齢を経るごとに減っていく。
10代の変化の可能性は高く、50代の変化の可能性はもう致命的低い。
部下を持つとすべからくその部下によい変化を望む。20代〜50代までの部下を持ったけれども、50代の方には変化の兆しを見ることはできなかった。
人の話を聞かないのではない。いつしか私たちは人の話を「聞けなくなる」のである。それは耳に入ってくるのだけれど、カルビがもたれるように消化ができなくなる。
そういう自分の中の壁に苛立ちを覚えるけれども、その壁を乗り越えることはできない。中の壁はそもそも越えるべきものではないからだ。
真正面でぶつかることはやさしい行為であるのだけれど、結局変化をもたらすことができず、(叱られている人の)中の壁をより増大させ、残酷な結果をもたらす。
再建できない企業にファイナンスをつけ、負債を増やすことに似ている。
真正面から受け止めるより、きちっと線引きした方がお互いの幸福につながることも多い。中の壁をその人が越えられないことを認めつつ付き合う方が良い場合がある。
人は必ずよい方向に変化する・・・という信念すらまた「中の壁」と言えるかも知れない。


バカの壁 (新潮新書)

超バカの壁 (新潮新書 (149))
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この記事へのコメント
1. Posted by 丁稚 2008年11月21日 12:59
要するにある程度の年齢まで来て、出来ない社員は座敷牢に閉じ込めるか、クビにするしかない、って事?
2. Posted by マリンゾウ 2008年11月21日 19:56
ホワイトカラーの仕事を細分化してくっつけてブルーカラー的な仕事に再構築するということだね。
当社には座敷牢にするスペースもくびにする度胸もないから、人を動かすのではなくて、仕事の方を変えてあげないといけない。
でもこういうリストラクチャリングは苦手で仕事を細分化して肥大化してばかりなのだが。
当社には座敷牢にするスペースもくびにする度胸もないから、人を動かすのではなくて、仕事の方を変えてあげないといけない。
でもこういうリストラクチャリングは苦手で仕事を細分化して肥大化してばかりなのだが。