2010年01月10日
国語のできる子供を育てる(工藤順一著 書評・感想)
「国語は成績を上げにくい教科だ」
こんな話を聞いたことがある。
たしか中学時代、国語の授業は長い文章を読んだ上で、作者の意図などを先生が説明していたように思う。
一方で試験は短い文章を読んで、選択肢を選んだり、抜き出ししたりが多い。
授業と試験には齟齬が生じている。

国語のできる子どもを育てる (講談社現代新書)を読む。
こんな話を聞いたことがある。
たしか中学時代、国語の授業は長い文章を読んだ上で、作者の意図などを先生が説明していたように思う。
一方で試験は短い文章を読んで、選択肢を選んだり、抜き出ししたりが多い。
授業と試験には齟齬が生じている。

国語のできる子どもを育てる (講談社現代新書)を読む。
- 第一章 書くこと
- 第二章 読むこと
- 第三章 読解力とは何かー学童期における読解能力と能力判定の問題
読解力とか表現力を現代の国語が磨いているか?と言えば筆者同様の他立場をとる。
(中三の)論説・説明文の試験問題を見たら、欲望する脳 (集英社新書 418G)が引用されていた。
そもそも茂木健一郎氏の本はわかったようなわからんような曖昧な文章で構成される。「それはクオリア!」
その一部分を中学生に理解しろ!と言われても困る。作者だってそう読まれることを期待しているわけではない。新書一冊あるのだし。
ただ、実際の問題は解ける。ここでも齟齬が生じる。
〜抜き出しなさい。(ある部分をそのまま)
〜書きなさい(ある部分をすこし削って)
〜説明しなさい(かなり削って)
たぶん、試験に関しては試験の王道ができてしまっている。実は文章が難解であればあるほど、問題は簡単になる傾向があるのではないか。
つまり、文章を読む力よりも、問題(設問)を読む力の方に重心がおかれるようになる。
重ねて言うが、文章の作者は、問題が作られることを想定していない。
つまり、成績を上げようとすればするほど、問題における設問の趣旨の受け取り方、練習が重要になる。
おそらく、本を読むこと=成績を上げること にはならない。文章を早く読む能力をあげるくらいかも。
だから、国語教育に携わる者が国語のできる子供を育てるとすれば、問題を想定した、完結した短い文章を作る必要がある。
それを名のある人の本からパクるから悪いのだと思う。試験を作るときのその安易さ故、その劣化コピーが生まれ、試験の成績≠国語力となっているのではないかなあと思うのである。
若い間はそれほど、国語力を必要としない。しかし、年齢を経れば国語力がいろんな面で必要となってくる。
そこを大人が十分理解し、子供と接するのが必要だろう。
子供に本を読ませるなら、自分がまず読めと言いたい。

「本当の国語力」が驚くほど伸びる本―偏差値20アップは当たり前!著者:福嶋 隆史
販売元:大和出版
発売日:2009-07
おすすめ度:
クチコミを見る




