2007年08月11日
フツーに生きるということの困難さ
実は普通を描く際に、この程度の「ゆらぎ」は必ず必要なのである。そうでない、偏差値50ぴったりの普通人というのは実はなかなかお目にかかれないし、むりやりこさえても不気味の谷の底になってしまう。→作品評 - らき☆すた
を読み、しばしフツーということに考えを巡らせた。
趣味はコンビニで立ち読み、友達は遠距離に一人、、そして家ではテレビを見ず、「モーニング娘のメンバーではなくモーニング娘そのものを知らない」男が「いや ワタシはフツーですよ」とおいらよりフツーを強調していた。
フツーの概念というものをおいらは知らない。ゆえに簡単に「フツー」の定義をすると「常に多数派」かつ「常に平均値」ということになる。これをめざす人生か。
学生の時まで平均点を取り続け、(平均点でいけるフツーの大学に行き、難しいのは多数派にいつづけ平均にとどまるということ。多数派なので地元で一番大きな高校に、そこでも平均。競争が起こり平均点に入れるのかどうか。
フツーの会社に就職する。これは常に平均で多数派にいなければフツーでなくなってしまう。その年齢で平均的年収をもらえる会社の選択。
「結婚は平均でしよう!」→結婚ウェーブ3年説 嫁は28歳になるとき、自分は30歳になる直前に結婚しなければならない。さらに結婚したら女性の初産平均年齢まで→出生率通り、1.2つうのはムリなので、一人の子供を作らなくてはならない。
そして、仕事上ではちょうど平均年齢で管理職になるべく、平均的な勉強の仕方をする。初級管理職の初合格平均年齢が35だとするとそのタイミングだ。
今回の参院選は流れを見ながら「民主党へ投票」おっさんになってもおっさんの平均としてのトレンドをはずさないための結構な努力がいる。会社の中では課長どまりが退職した人の平均であれば、退職前に課長をめざすが大きな目標。
趣味は→趣味ランキングあたりの時流を見て、映画鑑賞と読書。多数派でいるために人気封切りとベストセラーだけは欠かせない。マニアックなものを見てはいけない。
と考えるとフツーに生きるというのがいかに難しいかがわかる。時代によってフツーは常に変わるから、その中で埋没するフツーを維持しつづけるということだ。多数派の中で平均。
そんなことを考えるとフツーのやつには冒頭の通り滅多とお目にかからない。おいら個人的にはいないんじゃないか?とくらい思っている。
ゆえに個性を伸ばす教育というのには反対だ。「あなたは十分個性的」なのだ。だから長所を伸ばすというのはあっても個性を伸ばすってなありえない。教育とはフツーを学ぶもの。フツーの模倣から新たなモノが生まれる。コンサルでも業界のスタンダードを勉強することからはじまる。そこからどうはずすかというのが問題になる。
正常と異常を判断するときに「まわりが正常ならあなたは正常、まわりが異常ならあなたが異常」ということをきいたことがある。
フツーもまあ許容範囲であればみんなフツーだし、それを超えてこない人が多いだけ。
おいらは フツーだ。という気はない。しかし、モーニング娘は知っている。もちろん現在の面子までは知らないが。
ただ平均とか多数派という作られた(実際にはいないかもしれない情報)ものに流されるのはあまりスキではない。


