2007年11月23日
私も家庭教師をしていた頃の話
→On Off and Beyond 中3の家庭教師をしていた頃の話
大学時代、死ぬほど家庭教師をしてました。週8回とかやってたからな。疲れたデス。特に、「中3の子の偏差値を、1-2ヶ月で40台から50台に上げる」ってのが、私の得意分野でございました。
私も家庭教師をしていた頃の話。そんな昔でもないが・・・私自身の学力の問題もあり、かしこ〜い連中よりもどちらかと言えばそちらが得意だった。
塾の講師の方が実入りがよかったが、塾の掛け持ちはつらいので家庭教師もはじめて何人目か忘れたが・・・お母さんから「本当にしょうがない子なのでよろしくお願いします」と言われてあった少年。
あった瞬間わかった。こいつはケンカが強いということ。学校では不良で通っていたらしい。亀田をちょっとごつくしたような少年Aくん。イジメられたトラウマのある人なら一瞬でやめたろう。
最初は高校へ行かない未来の話をしたり、「私も昔は・・・」的いたずら武勇伝なんかを話したりしてそれなりに打ち解けた。Aくんは母親の話は聞かないがリスペクトする兄(もっとヤンキー)と私の話はよく聞いた。
というわけで勉強をはじめ、まあ30点を40点にするみたい話だったし、高校へは行くことで合意していたので彼なりに勉強していたようだ。成績はメキメキではないがそれなりになんとか公立の端には・・・みたいな雰囲気もしてきた。勉強してなかっただけなので、それなりに伸びたという感じ。
お母さんはたいそう喜び、カント炊きと称するおでんなどでもてなされた。その間も「なんだ?その頭?」的なオニゾリなんかを入れたりして・・・・「失敗してん・・・」とか言っていた。まだビーバップな頃だったし。
まあ勉強もしだしてなんとなく高校も行けるかな・・・の丁度今頃の寒くなった時期・・・20分くらい遅れてくることもあったが・・・約束を守ってきたAくんがその日ばかりは1時間以上連絡もなく私は待ちぼうけを食わされていた。
お母さんは「先生 ほんますいませんねえ」とこっちが申し訳なくなるくらい謝っていた・・・その後
電話が一本かかってきて・・・「はあ、はあ、ホンマにすいません」とお母さんが謝っている。なにかなと思っていたら・・・・Aくん補導の一報。原付を盗んで補導されているとのこと。
お母さんは半泣き。ほんとにAくんになってしまった。
高校進学を前に痛恨の補導。それまで学校に呼び出されることのあったお母さんもケーサツははじめてとあってさすがに動揺していた。
「じゃ今日は帰ります」
後日お母さんから電話があって「先生には申し訳ないんですけど、家庭教師を打ち切らせてもらいます。本当にすいません」
こちらの了承した。そりゃ、高校にいけないということはないだろうが、勉強云々以前の問題か。
Aくんは高校に行ったのだろうか?今の中学生よりはかわいいところもあったよな・・・とか思ってみる。
敬語をちゃんと話せない亀田を見るとふとそんなAくんを思い出す。
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この記事へのコメント
でも、中学時代に学べたことは多かったのかもしれませんね。
今頃は。。。。(泣)