2007年11月29日
私も家庭教師をしていた頃の話2時間目
もう社会人になってからも友人の紹介で家庭教師をした。中3の少年。そして一回目の授業でかます。
「私はご両親からお金をもらってあなたに勉強を教える、性格が合わないとか嫌いとか言うならさっさとお母さんに耳打ちしてくれ。でないとお互い不幸だ。そうでなければ私の言うとおりに勉強しろ。言うとおりに勉強すれば必ず成績はあがる。しかしあげるのはあなた自身だ。だから教えることはできてもあなたが努力しないなら成績はあがらない。勉強する気がないならさっさと言ってくれ。どうせあなたの勉強の手伝いはできても試験は手伝えない。」
と自信満々に言う。(実際はやってみないとわからないがまあ自分で勉強する気があるか?ならあがるよと言っているだけだが。まあ今考えると軽い暗示)
まあ1ヶ月もするとお互い打ち解けて休憩時間に一緒に漫画を読んだりしていた。漫画もよく借りた。
・・・「ブルマじゃなくなったらさみしいよな中学校」とかふると「先生、短パンの隙間から見えるんだよっだから短パンもなかなかいいすよっ」とか話していた仲。
そういう緊張感がなくなってくると集中力も切れがち。なので親に黙って・・・。
成績を上げるために「次回やる小テストが10問全問正解なら1000円やる」とか言って釣っていた。
しかし、こちらも学力とかわかっているので、微妙に8問とか9問とか満点がとれないように作る。
「惜しかったな・・・」(危ない。お時給が減ってしまう)
とはいえ取れないくじをひくものはいない。よく勉強した感じとか直前まで勉強していたあとが見られたときは満点がとれるように作成した。どうせその場で作る。
でそうやって満点とかとれると1000円もらうことよりも中間テストとかで成績があがるのが楽しくなったようだ。塾講師は子供を自分にいかに集中させるか?つまり話のテンポ、内容、抑揚、余談がものを言う。まあマスってなところか。
しかし家庭教師はそれよりも相手の学力とひっかかっている部分をいかに把握するかが重要である。正確に把握して「あっ」みたいな納得が得られるまで何回も手をかえ品をかえ説明する。そこで「知る」喜びみたいなところを経験すればあとは勝手に勉強する。教えることそのものよりも観察が重要。
どうやら自力があったらしくワンランク上くらいの高校に合格した。高校合格後お母さんはたいそう喜び・・・「長男も見てくださいっ」と言われた。長男はもう高校3年で大学受験を控えていた。
「それは勘弁してください」・・・だいたい大学入試を教えるほど学力がないし、するとすると猛烈な予習が必要だ。ムリだっわにの腕立て。
「じゃあ三男をみてください 勉強はからっきしなんでけど本を眺めるのは好きなんですよ」中1になった三男がいた。
口がふだんあいているようなぬぼっとしたタイプ。
これは3時間目に話すことにする。
私も家庭教師をしていた頃の話 3時間目
この記事へのトラックバック
この記事へのコメント
理数系(生物意外)はほぼ全て赤点だったわたくしに
もう一度基礎から叩き込んで欲しい!私は書道を
教えますので、それで相殺ということでw
三男。。。そういう普段ぬぼっとしたタイプが将来
大成することも多々あるんですよー。


