2007年12月26日
「関係の空気」「場の空気」(書評・感想)
- 第1章 関係の空気
- 第2章 日本語の窒息
- 第3章 場の空気〜『「空気」の研究』から三十年
- 第4章 空気のメカニズムと日本語
- 第5章 日本語をどう使うか
- ちゃんと語ることで日本語は伝わる
- 失われた対等性を取り戻すために
- 教育現場では「です、ます」のコミュニケーションを教えよ
- ビジネス社会の日本語は見直すべきだ
- 「美しい日本語」探しはやめよう
筆者は1対1で作られる雰囲気のことを「関係の空気」と呼び、複数で醸成される雰囲気を「場の空気」と読んでいる。
「関係の空気」を作ることは個人でもそれほど難しいことではないかもしれないし、日本語を正しく聞き、使うことで是正する可能性を示唆している。まあ努力次第。「場の空気」については論説にとどまる。それくらい今の日本の「場の空気」の圧力。
経営者の会議に参加したり、議事録をおこすことがあるが、その場合も論理的な展開よりも決定的な要因というのは「場の空気」、そして流れである。そういうものをきちんと解説した良書。
ここでは触れられていないが、個人が持つ空気があることをみな理解しているし、それは年齢とともにその色を濃くする。本来そこは「話してみたら結構いいやつじゃん・・・」な部分もあるが、日本語の窒息(言葉が足りない、または使い方が違う)のおかげでその誤解が解けないまますすむ場合も多い。
言葉がきちんと使えない・・・つまり日本全体の幼児化ではないだろうか?言葉の流行がはやくなる一方でその陳腐化もはやい。
「○○○○関係ねえ・・・はいっ・・・オッパッピっ」
陳腐化するおかげで「氏ね」などの言葉もスルーできる文化が(2ちゃんねるをはじめネットでも)芽生えつつある。
が言葉を真正面から(言葉を)捉えることもしなくなる・・・それも「どうなんだか」・・・。
もちろん饒舌だけがいいのではなく、きちんと話し、きちんと聞くことの重要性をあらためて感じつつ。まあ私自身も仲間うちだけで通じる隠語や略語が好きだったりする。それは他者の阻害ではあるが。
KYと呼ばれる人が悪いわけでもないが、きちんと話を聞けない人も多いと思うのは私だけか。しかし「話を聞け」または「察しろ」とちゃんと言わない文化の蔓延もあり。
触らぬバカにたたられぬよう。
・・・悪い部分で日本的な部分が増幅しているのかも。
年々「場の空気」に入りこむことが難しくなってきている。それは年齢を重ねれば重ねるほど、ある(できあがった)コミュニティに入ることがためらわれるということである。作ってしまえばいいわけであるが。
とはいえ、(風潮とかメディアなど)空気のみに流されることを避けたい・・・。できあがった空気のみにのんびりと暮らすのもさみしいものだ。
いつまでも腰を振って「ね、ん、ま、つ、フォー!」といい続け、空気に押しつぶされない自分でありたい。
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この記事へのコメント
でも、営業やってると結構便利だったりするんです(笑)



