2008年03月14日
催眠術の極め方(書評・感想)
催眠や暗示の本が好きだ。それを駆使してなHなことを目論んでいるわけでは。違うっ違うっそうじゃない。 「催眠」とは独自に定義してみると、抱き枕で転寝しているような、意識はあるけど、メンドクサクくて動きたくない。テレビの音も聞こえるが、脳みそは最小限しか反応していない・・・でも眠ってはいない、そんな状態を思い浮かべる。ある程度「そうなってもいい」という状態でしか(本書ではラポールの形成という)催眠はかからないということ。この宙ぶらりんが意識を下の方へと導く。 一方、「暗示」とは「暗に示す」の言葉通り、「せよ」ではなく「する」である。「瞼が重くなってきます・・・」あくまで重くなることを自発的な行為として期待する。「瞼を重くせよ!」ではない。ここいらはコーチングとかと共通。 「ほのめかし」とはいかようにも理解されうる。なんとなく伝えたいことがあるがその意図はまあご勝手にの範疇。これをうまく使うと意識の下のレベルへ滑り込ませることができるかも。 でっ「意識」というのは人間の思索の表層であって、「潜在意識」「無意識」の方がはるかに多くの部分を占めるに思う。催眠誘導は意識の底辺、潜在意識の上部に「暗示」でもって働きかける。ただし、人間の持つホメオスタシス(恒常性維持能力)が強く働く人は「(潜在)意識の変化」をなかなか許してくれない。 また、不利な内容については「意識」の壁が、生命を脅かすものについては「無意識」の壁が邪魔をするので、先述の「そうなってもいい」という状態作りというのが催眠術がうまくいくか否かのポイント。ここいらがイケメンを抜いたモテとも関係するだろう。 ゆえに本書を読んで極めさえすれば、どんな相手も自分の思い通りにできるということではない。あくまでラポールが形成される関係性があってこそ、親子関係とか恋人関係とか他の関係性が生まれているとまずそうだ。 「潜在意識」に暗示を刷り込ませれば催眠誘導は成功のようであるが、「潜在意識とは何か?」 潜在意識とは記憶と感情の残骸を煮込んだ鍋。ほんのうわづみが意識でその下は潜在意識。通常は浮かんでくることのない記憶と感情のごった煮が(体の状態とか、恐怖の感情のみとか)何かの拍子に浮き上がってくる。理由はわからないという部分や意識でコントロールしにくい部分で「夢」にも似ている。 無意識との混同が見られるが、無意識は鍋の上にまず浮かんでこない。単なる反応というか。潜在意識のもっと下の方。どちらかと言えば思考よりも身体にもっと近く感じる。
という構造で意識の部分では「ラポール」(信頼)が必要、そして問題は「潜在意識」をどうリーチし、いかに解放させるかで一定の技術と作法と経験が必要であろう。
こういった裏腹な感情は実に人間的で、ごった煮の整理をできないと催眠誘導はうまくいかないだろう。それは自分自身を振り返ってもわかることだ。 声に出した言葉は自分の中から一度アウトプットして自らの耳でインプット(再認識)するので、頭の中で思うものだけのものとは違い、とても強くなります。P171各種成功本に書かれていることであるが、なるほど人に言われ続けて自分がそうなってしまうように、自分から吐き出した言葉でもそうなることがある。非常識な成功法則―お金と自由をもたらす8つの習慣(神田昌典著)では書き出すことを提案していた。 本書はこれまでと違って、催眠誘導そのものよりも自己暗示に近い仕上がりとなっていて、技術的な側面は前著の方がより詳しい。 日常生活には「潜在意識」や「暗示・ほのめかし」が潜んでいることは多くの人が認めるところであろうし、「気はココロ」、「病は気から」と枚挙いとまない。「我思う、ゆえに我あり」は、意識だけの問題を説いたものでもないかもと、思う我が我になるという意味とか。 それを「潜在意識」のレベルまで埋め込む作業が難しいが、これは多くの書籍に書かれている内容を愚直に行なってみるのがいい。つまり、自分を阻害するのは(意識されない)自分自身であり、そこいらをいかに払拭していくか?ホメオスタシスをどう克服するか?というのは感情と記憶を丁寧に解きほぐすほかないように思える。それは術者の力を借りたり、本を読んだり、のんびり散歩したり、様々な外的刺激を受けながらゆっくり進むのだろう。 技術的な側面だけでなく、自己を冷静に変化させたい人には確実に役立つ一冊だと思う。Hなこと?そうじゃないってこともない。ただ、本書になってなぜ催眠誘導から催眠術に言葉が変わっているのかは謎であり、催眠もブラックボックスがあるからこそ信じ得るという部分で謎は謎のままの方が宗教と同様、効くのかもれない。
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